「パナマ建国100周年」

パナマは中米にあり、北アメリカ大陸と南アメリカ大陸をつなぐ、細い中央アメリカ部分にある人口300万人の国である。この細くなっているのを利用して、ここに運河が作られたのが20世紀はじめで、太平洋とカリブ海を結ぶパナマ運河が通り、重要な交通拠点ともなっている。

このパナマ運河を最初に作ろうとしたのはフランスであったが、昔のことでもあり、黄熱病等の対策もままならず、多くの労働者が亡くなり、想像以上に費用がかさんだために、フランスは撤退した。その後に、アメリカが採掘権を買ったのだが、当時のパナマはコロンビア領だった。コロンビア領土の採掘権をアメリカが勝手に決めて売買したことにより、戦争が勃発。この運河部分だけを「独立戦争」させて、独立させてしまった。そのため、アメリカの影響力が強く残り、1914年に開通したパナマ運河地帯は長くアメリカの管轄下にあり、1999年12月31日に正式にパナマに返還された。また、1989年には米軍が侵攻して、最高実力者ノリエガ軍司令官を逮捕し独裁体制を崩壊させている(ノリエガ司令官はその後、アメリカで有罪判決を受けている)。その駐留米軍もパナマ運河返還を機に撤退した。

パナマの歴史を紐解くと、1502年、コロンブスが上陸。以後スペインの支配下に入り、1821年からはコロンビア、ベネズエラ、エクアドルとで結成された大コロンビア共和国の一州になった。アメリカの支援を得て共和国として独立したのは1903年であった。丁度、本年はパナマ建国100周年という時期にあたる。

パナマでは、11月3日(月)にコロンビアからの独立100周年記念式典等を開催した。1999年に初の女性大統領となったモスコソ大統領は「本日独立100周年を迎えることができた。パナマは多様な文化の国であり、それらが合体していわゆるパナマの文化ができあがった。パナマはコスモポリタンな国であり、人種等による差別は一切ない。パナマは公正な国の建設を目指しており、パナマをよりよい国とすべく、パナマの将来のため皆で働こう。」と語り、「独立100周年記念文書」に、パナマ市議会議長とともに市議会において署名した。

式典をはじめとする行事には、コロンビア、ホンジュラス、ニカラグ、コスタリカ、ドミニカ(共)、ルーマニア、エルサルバドル、グアテマラ、ボリビアの各大統領、アメリカからはパウエル米国務長官、日本からは真鍋元環境庁長官(特派大使)が参列した。

パナマ運河
パナマ共和国建国100周年パレードより

メキシコ人ならアステカとテキーラを自慢し、アルゼンチン人ならタンゴとワインを自慢し、キューバ人なら音楽と革命を自慢し、ペルー人ならインカとケーナを自慢する。中南米では一般的に、親日的な傾向のある国が多いのは確かで、また、戦後、敗戦国でありながら、驚異的なまでの経済成長を遂げた日本という国への関心が案外と高いことに驚かされるが、そういう一般的傾向と比べてみても、パナマ人の日本への関心は高いように感じる。

日本とパナマは1904年に国交を樹立。バハマ同様に船舶の便宜置簿国でもあり、パナマが所有する船舶の40%は日本の海運会社が運営しているものといわれている。またパナマ運河通過貨物の2割は、日本を発着地としている。

いまのパナマ運河の通航量は限界に達しつつある。それを見越して、第2パナマ運河を建設するという計画のことは耳にしたことがあった。しかし、そうでない国にとっては、パナマ運河が通航不可になれば、それは貿易上、死活問題になる。米国より、はるかに、打撃は大きいはずだ。

そうでない国.......すなわち、太平洋間~大西洋間での輸送をもっとも必要とする国.....アジアとヨーロッパ・アフリカ地域の交易を必要とする国。いや、貿易上の死活問題などというものではない。生命線を止められるようなものではないか........。


JICAシニア海外ボランティア 内山 寛 (パナマより