第3回

2003年元旦 スラバヤより  斎藤 健二                 

JICAシニアーボランティアとして当地へ赴任してはじめての正月を元気にむかえました。当地の正月は特別の行事もなく、気温も30℃以上で日本での正月気分は全く感じられません。
派遣先では医療機器の保守管理指導として既に8ヶ月が経過し、指導すべく全容がはっきりしてきました。こちらの保守管理は完全に個人レベルで行われておりノウハウの蓄積がなされていないのです。
現在は全体業務計画中の「保守来歴データベース構築」のソフト開発工程を行っています。
また一方では医療放射線用語のインドネシア語翻訳も進めています。
当施設は救急外来病院で、24時間体制で稼動しているので、我々の朝も早く7時45分より執務をしています。
現在はソフト開発、翻訳の作業の為一日中執務室で仕事にあたっています。
病院の建築構造上中央部が中空になっているため我々がいる4階まで危篤患者の家族の悲鳴が時々聞こえます。その度に医療機器保全の使命感に奮い立たされる思いがします。
当病院に納入された医療機器も7年を経過し、日本でも保守部品の確保が難しくなってきていると思われます。物価価値が日本とは10数倍違う当国にとっては、なかなか保守部品の事前購入は難しいわけです。
病院エンジニアも消耗品的な部品までも時間をかけて直します、こちらにはあまりお金は無いが時間はふんだんにありますから。


 

ある日の一日   小疇(こあぜ) 進三郎                          

5時半起床、6時に朝食が私の一日の始まり、7時半にホテルを出発。
車で15分ほどで病院に到着、今朝は救急患者が運び込まれてない平穏。
時には、床に血が落ちていて、怪我人が運び込まれた痕跡がありあり・・・
我々の、執務室は救急病棟の4階にあり、我々よりより半年早く赴任された山川さん(空調関係のメンテナンス指導)も含め3人で使用しています。
執務室に着くと、毎日持ち歩いているパソコンに電源を入れ先ずメールチェック! シニア日本から送られてくるお便り、あるいはボランティアで活動中の仲間からのお便りを見るのが楽しみであり励みになります。
どんな些細なことでもお便りがあると嬉しいものです。
最近私が取り組んでいる仕事は、放射線用語のインドネシア語翻訳ですが、一人ではなかなかできるものではなく、放射線科の先生の協力を得て、英和、インドネシア語・英語、インドネシア語・日本語、の辞書と格闘・・・・?
(Kamus cari cari・・・?)
どうやら、年末までに略完成現在最終チェック中・・・・・近日完成。
斎藤さんは、医療機器の保守来歴データベース構築のソフト開発作業を進めています。
当院の医療機器管理は、保守来歴のデーターが個人レベルで保有しているため保守の現状把握が難しい、そこで情報を共有化を図るためには欠かせない作業です。
一日中執務室で仕事をしていますが、時々レントゲン室に行き撮影の現場を覗き、フィルム等も見ています。写真は大方良好ですが時々薄い写真も散見します。これからは、放射線技師とも頻繁に接触し撮影条件についてもチェックしたいと思っています。
勤務終了、帰宅すると先ずシャワーを浴びさっぱりしてから冷たいビールといきたいところ・・・アルコールに弱い私はコーヒーを飲みタバコを一服(反省しながら・・・何を?)1時間ほど休憩したら、隣接のショピングモールへ行き、夕飯は何にしようかな~なんて考えながら、スーパーマーケットで食材探しをしたり、今日は外食と決めると、何を食べようかと考えいつもの行きつけの喫茶店へ・・・・。そこでは、若い店員を相手にインドネシア語の会話の勉強、会話の本はいつも携帯して、あれやこれやと質問しながら会話を楽しんでいます。ここには書けない悪い言葉はすぐに覚えますが・・・会話の進捗度は少しずつ上達、食事後は、部屋で読書あるいはテレビを見たり、メールを送ったりで時間の経つのが早く、退屈をすることは全くありません。
さて、明日のことを少し考えながら・・・・・就寝(おやすみなさい・・・)


スラバヤ・ストモ病院の執務室で
(左・小疇(こあぜ)さん、右・斎藤さん) 

病院救急車の前で

脳波計の点検作業

保守来歴データの収集 1

保守来歴データの収集 2

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